本山・春の法要4月1日~3日 御本尊還座式3月31日勤まる

先般、本山(東本願寺)に於いて、阿弥陀堂の御修復にともない2011年より仮阿弥陀堂(御影堂九字之間)に安置されていた御本尊・阿弥陀如来阿弥陀堂へ還座する「御本尊還座式」が執り行われた。始発で坊守さん達5名、自身は次の電車で上山した。時間もある事とのんびりとコーヒーを啜っていたら、両堂とも満堂。発表によると1万人の参詣者と言う事。記念講演は池田勇諦先生、池田先生が出講出来なくなったなら、代わりになる方は頭に浮かばない。阿弥陀堂御修復完了奉告法要」から出仕させて頂いたが、例年の「師徳奉讃法要」と兼修ということであった。もう少し重い法要にさせるべきと感じた。何故か、本山のHPは「親鸞聖人御誕生会」音楽法要の画像が大きくUPされていた。   珀琳寺 住職

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満堂の御影堂

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お勤め(仮阿弥陀堂にて)

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唐櫃・カラビツに収められる御本尊(御門首と定衆2名)

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外縁を通って阿弥陀堂

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御本尊、通過・念仏の声が

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金箔が輝く阿弥陀堂

彼岸の中日

今日20日はお彼岸の中日です。あいにくの雨で、早朝に本堂のお勤めの後に、寺の墓と永代供養墓にもお参りしてきました。珀琳寺 住職 

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仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を彼岸といい、その反対側の私たちがいる迷いや煩悩に満ちた世界を此岸(しがん)といいます。

そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分春分は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、墓参りをするようになったと言われています。


3・11 大震災5年

ボランティア激減=ピークの3%、不足深刻―福島・大震災5年

東京電力福島第1原発事故が起きた福島県では、ボランティアの不足が避難住民の帰還に向けた作業に影を落としている。今春の避難指示解除が見込まれる南相馬市では、これまで手つかずだった家屋の片付けなどが本格化し需要が急増。市社会福祉協議会は若者らの参加を呼び掛けているそうだが、これは5年経った風化と見ていいのだろうか?避難指示解除が見込まれる南相馬市に足を踏み入れること自体が放射能に汚染された大地に踏み込むという冷静な判断が出来るようになったのでは?地震直後はその冷静さを失い、純粋なヒューマニズムに押され沢山の人が押し寄せた。福島第1の事故の状況が5年後の今になっても小出しされている状況。国民もそんなにも馬鹿ではない。メルトダウンどころかメルトスルー・・大津地裁が9日、関西電力高浜原発3、4号機の運転差し止めを命じる仮処分決定を出した一件はこの11日を見据えてのガス抜き・ぬか喜びという識者もいる。これぞ美しき国の中身であろう。珀琳寺 住職

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今日、報恩講参りで門徒さんの家で咲いていた紅梅

一青の慶英寺さん祠堂経

今日から、一青(ひとと)のお寺さんの祠堂経の布教である。一青(ひとと)という呼び名は、御存じ 一青窈の母親の出身地であり母親の旧姓とあるが、現在、一青という苗字は見当たらない。まあ、ウェキペディアにも母親の旧姓とあるのだから、まんざら嘘でもないだろう。

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寺の掲示板を眺めると、素晴らしい伝道の言葉。

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思うようにならんという世界を、知らせて下さる 一番身近な仏様が、子供でしょうね。※親の言葉をひとことも素直に聞いてこなかった私を顧みる。 子供に教えられます。「子を持って知る親の恩」ですね。

珀琳寺 住職

ふれあいセンターでの説教

羽咋市鹿島路ふれあいセンターに於いて、デイサービス及び地域のりんご会の人達。合わせて33人程の方々の前での講演。この在所の8割が珀琳寺門徒。懐かしい元総代さんの顔も拝見できた。珀琳寺 住職

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布教

2月26日から28日まで、3日間 組内、能登部の成宗寺さんの祠堂経会(しどきょうえ)に布教に出講させて頂いた。寒い中、熱心に聞き入っている御門徒さん。今日が最終日だ。近年、布教師さん不足が深刻な問題になってきている。自身は自坊に急なお参りが入ると、ご迷惑が掛るので、布教に出る回数は少ない。若くて活きの良い布教師さんが育ってほしいものだ。珀琳寺 住職

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祥月命日

昨日2月18日は、父・先代住職の祥月命日。平成元年に亡くなり、27回忌を勤めたのは一昨年になる。丁度、下の娘も仕事が休み、家内・娘3人で本堂でお勤め、その後、庫裏の御内仏で『正信偈』。3食精進。なんでのない寺の日常風景である。なんでもないと言う事は大事な事としみじみ思う。人にお礼を言う(なんでもない事)家族にお礼を言う(なんでもない事)親・子どもにお礼を言う(なんでもない事)妻にお礼を言う(なんでもない事)。「ありがとう」のその一言が相手が変わるとハードルが高くなる。自分が本当に伝えなくちゃいけない事と真逆な言葉はポンポンと出てくる。相手に対する依存心が強いと尚更、罵詈雑言が。依存心が強ければ強いほど、徹底的に攻め立てる。

アメリカの心理学者ガリクソンの言葉を借りるならば「自己同一性の危機」自己とは何ぞやというおぼろげな問いかけが乳、幼少期を通し端的に言うならば、親との関係が良好に保てなければ、自己の確立はないと提唱した。

昨今、子供、特に乳幼児の虐待が取りざたされる。虐待された親も過去に親との関係に問題を抱えているのが多い。それは憎悪や怒りの感情をそのまま解決する事が出来ず、ある人はうつ病になり、ある人は虐待するという悪循環を繰り返す。

もう一度、自己の在り方を考えてみるトレーニングというものは大変重要な事。

仏教の教えは難しいとよく聞かされる。それは「自己とは何ぞや?」という釈尊四門出遊という仏道へ歩みでた原点と通ずるものが大である。

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上にガリクソンのライフサイクルの表を乗せた。問題を抱えて生きていくのは人間の常であるが、その原点を辿り、何度も何度も自己の在り方を探したいものだ。 珀琳寺 住職