祠堂経会(永代経)始まる

6月1日~7日迄、例年の祠堂経会が始まった。講師は穴水の広瀬彰一氏、広瀬さんは彼此、20年以上のお付き合い。年々、布教に出る人が減っている。若い30代位の志を持った人がとんと見かけない。参詣される方の顔ぶれは、同じ顔ばかり。毎回 気の毒になる。前寺の還城さんも、法務員の板坂さんもおらず、鐘を撞いたり、内陣の用意やら忙しい限りである。火の用心火の用心!!珀琳寺 住職

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総代さん勤労奉仕

5月25日に毎年恒例の総代さんの勤労奉仕が行われた。生憎の雨の中、本堂裏手の雪折れの紅葉や根返りしたモチ・タブの伐採、竹林の清掃。総勢14人。残木を軽トラに積んだり、急遽、竹の廃棄の為、門徒さんに連絡して積載車を確保。2tのユニックは出払って連絡がつかず・・・。雨の中、蚊と戦いながら無事終了。一番古い露地(県の名園指定)である竹林横の整備を次回の課題に。珀琳寺 住職

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最初は出し易い物から

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枝折れした様子、右手上が古い露地

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息も絶え絶え、私もお手伝い

親戚の7回忌とバカとダラ

先日、宝達志水町志雄町の専勝寺さんへ、前住職の弟さんの7回忌に坊守と一緒にお参りさせて頂いた。亡くなった方は珀琳寺の孫、僧籍も無く、未結婚。身内だけの従弟会の様な感じ。前住職さんの感話に「生まれながら障害を抱え、唯一お朝事の時に仏飯を運ぶのが、仏事の一環を担っていた」なかなか考えさせられる話。お斎の前に「バカとダラ」の話に(前住は大谷大学卒業時に法主賞を受けている優れもの)・・バカは莫迦という梵語からきた音写というのは通説であり、普段使われる馬鹿という字は<鹿を見て馬となす>と云う諺から現代の漢字表記には使われている、馬と鹿には全く迷惑な話であるが。

ここからが赤塚不二夫の「天才バカボン」へ、50過ぎならよく読んだ漫画、TV放映もされた、ナンセンスギャグ漫画という走りだろう。キメ台詞が「これでいいのだ!」子供心になんとふざけた漫画だと・・・。正直意味が分からない描写もあったが、今振り返ると、馬鹿なのに馬鹿になれない自分、あるいはそれを認めない自分。自己の愚かさを教えてくれ、意味のない事が重要な意味を持っている。

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登場人物のレレレのおじさんも今思えば、掃除で悟りを開いた仏陀の弟子 周利槃特(しゅりはんどく)。となると、「バカボン」自体は、サンスクリット語(古代インドの文学語)を音写した「薄伽梵(ばがぼん:英字表記だとbhagavat)」と考えるのが自然であろう「薄伽梵」というのは仏、特に仏陀のことを意味している。

莫迦、馬鹿から「薄伽梵」への方向付けが必要であろう。まずはバカという自覚から。またダラ(能登ではバカ・阿呆)という方言についても話が弾んだが、陸続きの島根では全くそれらしき言葉が無く、九州、福岡には似た言葉が存在するのには驚かされた。おそらくこれは旃陀羅せんだら(インドの被差別民チャンダーラの漢音訳、日本でも差別用語として使われている)が転じてダラとなったのではないか・・等々お仏飯を運んだ仏事に参加した方の尊い法要のご縁であった。 珀琳寺 住職

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露地の化け灯篭と立石(たてりいし)

GWに入る前に、能登沖地震から徐々にカタガリだした立石と、笠石の落ちた化け灯篭の積直しを懇意にしている石材店に修復して頂いた。能登沖地震は平成19年3月25日、輪島市沖40kmで発生した最大震度6強。中能登町でも6弱という激しい揺れであった。全壊の門徒さんは3軒、半壊は数知れず、道路ひとつ違うだけで損害の程度が全く違ったのには当時経験した、驚きだった。もう9年も経つが本堂の石垣のずれや、山門の踏み石のひび割れ。白壁の剥落・風呂場のコンクリートは今になって大きな戻ろうとする力によってタイルごとバラバラになってきている。露地の石のカタガリも徐々に進行してきたものだ。

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ユニックで石を持ち上げる重機を降ろす

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慎重に枯山水の中に重機を

 

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笠石の落ちた化け灯篭。下は笠石

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傾いた立石・小さく見えるが2mの高さ

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今回誂えた火屋を載せる

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落ちた笠石を慎重に重さは70kg

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傾いた立石をなんとか真っ直ぐに

この時、お参りがあり直接は見れず

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こんな感じで満足。もう少し立石が左に5cm程

・・・。これ以上直すには大きな重機がいるという事

 

生前、父が古い勧修寺灯篭を欲しがっていたが、家人の反対で断念。私も興味が無く援護射撃もしなかった。この頃5尺ほどの苔むした灯篭が欲しくてたまらないが妻に猛反対の憂き目にあっている。珀琳寺 住職

 

定例総代会開催される

去る26日、定例の総代会が開催された。出席者8名(欠1名)私を含め9人。

  第1号議案 平成27年度事業報告
  第2号議案 平成27年度決算報告      
  第3号議案 平成28年度事業計画(案) 
  第4号議案 平成28年度経常費 (案)
  第5号議案 平成28年度会計予算(案)

まで、慎重審議され、今後予定される大規模修繕事業に対する大まかな確認、門徒数減少に伴う宗教行事の縮小についても論議された。また、地震保険について提出すべき資料が保険屋のミスで先延ばしされた。個人的には此の事について同意を得たかったが、住職・責任役員・会計・総代会副会長の4人に託して頂くことで終了。総代さん総出の勤労奉仕の日を決めて散会。終始和やかな雰囲気。珀琳寺住職

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暑かった大阪

昨日、大阪の門徒さんの法事から寺へ戻る。2、3泊の予定であったが、恋しくなるのは自坊。暴風が石川を襲いサンダーバード運休になったばかり、前泊する慎重さ・・・10年前なら始発で行くのはあたりまえ。阿倍野辺りで目ぼしい店は満員。石川とは10度も違い暑く、難波か谷町まで行く気にもならない。そうそうに空いてる店に入り、小一時間。気軽な立ち飲みやなら、大阪なら隣の人と話も弾むのだが。少しうろつき、翌日に備え就寝(10時頃)。法要を終え、大阪の門徒さんに連絡を取るが留守ばかり。ホテルをキャンセルし帰途へ。うっかりJR難波線に乗ってしまい、ぎりぎりサンダーバードに飛び乗る(法衣類の荷物の重さを恨む)。お土産一つ買えず迎えに来た下の娘からはブーイング。珀琳寺 住職

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満員で20分程待つが動く気配なし

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夜景を眺め南海トラフトが騒ぐとどうなるかと・・

遺体ホテル、献体――加速する「多死社会」の現実

最近のネットニュースは、終活の問題や、葬儀・墓のあり方を多々取り上げている。厚生労働省によると、現在、1年間の死亡者数は約130万人。団塊の世代が80歳代を迎える2030年には160万人に達するとされる。都内の斎場の受付職員は「繁忙期はご遺族のご希望の時間帯に添えないことも多く、なかには火葬まで7日もお待たせするケースもあります」と話す。私自身も、横浜の門徒さんの場合死亡から2週間後に葬儀が執行されたのを20年ほど前だが、今でも覚えている。

なんでもビジネスに結びつけるのが、虎視眈々と狙っている頭の良い?蓮中だ。アマゾンの3万5千円の派遣坊主(仏教会が猛反対したのには、正直大笑いした。世間とかけ離れたところに葬儀という形でしか存在しない仏教の在り方、情けない)。

遺体ホテルというものも最近流行りだしてきたらしい。火葬場不足の背景には、新たな火葬場建設が難しいという事情がある。火葬場建設計画が持ち上がっても、土地のイメージが悪くなるとして地元住民が反対するケースが多い。そこで都市部では不要になったホテルを遺体冷凍保存し、火葬場が使用できるまで、預かるそうだ。この傾向は、田舎でも言える事であろう。羽咋市の火葬場の移転問題も頓挫したままだ。

多死社会を前に、自分の遺体を大学医学部の解剖実習のために提供する「献体」の登録者数が増えている。篤志解剖全国連合会によると、現在の登録者数は26万人を超え、30年前の4倍になったといわれる。そこには、葬儀も墓も取り仕切る、親類縁者との関係が破綻してきている。

この波が過ぎた多死社会の日本の行く末は、若い世代にとって何の魅力があるのだろうか? 抄出Yahoo!ニュース 珀琳寺 住職