骨前葬
ようやく祠堂経(永代経)が終わり、一息する間もなく、横浜で亡くなられた門徒さんの骨前での葬儀を執り行った。事故に巻き込まれ、50代の若さであったが、家庭を持たず独り身。危篤の知らせが嫁いだ妹さんの所へ、亡くなったのが5月の中旬、検死も長くかかり、火葬にするのも1週間待ちとの連絡。その間の、家の後始末、警察官とのやり取り・・・・。しっかりした旦那さんが居たお蔭と感謝しておられた。検死の最中に妹さんから私の所へ電話。御実家も取り壊され、どうしていいか迷った様子。私の方から、骨にしてからの寺での葬儀の提案。ホッと安堵した様子で日取りを決めた。参詣は3人。骨前に三具足を置き、無事、葬儀・骨上げ・中陰法要を済ませ、49日までお骨は寺で預かることに。
孤独死というのは何も独居老人だけの問題ではない。現に独身一人暮らしの壮年層が沢山いる。今回は御兄弟との繋がりがあったからと。断シャリ・終活の準備は?最近は相続や、成年後見人についての相談や、色々な法律問題に直面することが多い。リタイヤした司法書士さんに電話する回数が増えた。 珀琳寺 住職
祭壇不要の骨前での葬儀
祠堂経会(永代経)始まる
6月1日~7日迄、例年の祠堂経会が始まった。講師は穴水の広瀬彰一氏、広瀬さんは彼此、20年以上のお付き合い。年々、布教に出る人が減っている。若い30代位の志を持った人がとんと見かけない。参詣される方の顔ぶれは、同じ顔ばかり。毎回 気の毒になる。前寺の還城さんも、法務員の板坂さんもおらず、鐘を撞いたり、内陣の用意やら忙しい限りである。火の用心火の用心!!珀琳寺 住職
親戚の7回忌とバカとダラ
先日、宝達志水町志雄町の専勝寺さんへ、前住職の弟さんの7回忌に坊守と一緒にお参りさせて頂いた。亡くなった方は珀琳寺の孫、僧籍も無く、未結婚。身内だけの従弟会の様な感じ。前住職さんの感話に「生まれながら障害を抱え、唯一お朝事の時に仏飯を運ぶのが、仏事の一環を担っていた」なかなか考えさせられる話。お斎の前に「バカとダラ」の話に(前住は大谷大学卒業時に法主賞を受けている優れもの)・・バカは莫迦という梵語からきた音写というのは通説であり、普段使われる馬鹿という字は<鹿を見て馬となす>と云う諺から現代の漢字表記には使われている、馬と鹿には全く迷惑な話であるが。
ここからが赤塚不二夫の「天才バカボン」へ、50過ぎならよく読んだ漫画、TV放映もされた、ナンセンスギャグ漫画という走りだろう。キメ台詞が「これでいいのだ!」子供心になんとふざけた漫画だと・・・。正直意味が分からない描写もあったが、今振り返ると、馬鹿なのに馬鹿になれない自分、あるいはそれを認めない自分。自己の愚かさを教えてくれ、意味のない事が重要な意味を持っている。
登場人物のレレレのおじさんも今思えば、掃除で悟りを開いた仏陀の弟子 周利槃特(しゅりはんどく)。となると、「バカボン」自体は、サンスクリット語(古代インドの文学語)を音写した「薄伽梵(ばがぼん:英字表記だとbhagavat)」と考えるのが自然であろう「薄伽梵」というのは仏、特に仏陀のことを意味している。
莫迦、馬鹿から「薄伽梵」への方向付けが必要であろう。まずはバカという自覚から。またダラ(能登ではバカ・阿呆)という方言についても話が弾んだが、陸続きの島根では全くそれらしき言葉が無く、九州、福岡には似た言葉が存在するのには驚かされた。おそらくこれは旃陀羅せんだら(インドの被差別民チャンダーラの漢音訳、日本でも差別用語として使われている)が転じてダラとなったのではないか・・等々。お仏飯を運んだ仏事に参加した方の尊い法要のご縁であった。 珀琳寺 住職