今年も宜しくお願い致します。

晦日に、伯母の四十九日法要を終え。1月1日の修正会、ひっそりとした3が日。孫に習字を教えながら、自分が教えられる事だらけ・・・。基本的な筆の持ち方、筆の入れ方、筆の洗い方などなど基礎の基礎。これが驚くほど呑み込みが早い。欲が無いからね。素直に吸収するって素晴らしいですね!30手前で習った欲だらけの自分の字に恥じ入るばかり。今年こそは!永代供養墓推奨寺院 珀琳寺 住職

師走を駆け抜け大晦日・年内報恩講参り終了。気になるニュース

今年も数時間、やっと報恩講のお参りも済み一息。気になったニュースが。・・・

「僧衣で運転」に青切符、法事行けぬと宗派反発

12/29(土) 7:16配信

読売新聞

 福井県内の40歳代の男性僧侶が9月、僧衣を着て車を運転したことを理由に、同県警に交通反則切符(青切符)を切られていたことがわかった。県の規則が「運転操作に支障がある衣服」での運転を禁じているためだが、僧侶の多くは日常的に僧衣で運転しており、男性は「法事に行けない」と反則金の支払いを拒否。所属する宗派も反発する異例の事態になっている。

 県警や男性の説明によると、9月16日午前10時過ぎ、福井市内の県道で、男性が軽乗用車を運転していたところ、取り締まり中の警察官に制止された。警察官は「その着物はだめです」と告げ、青切符を交付。違反内容は「運転に支障のある和服での運転」と記され、反則金6000円を納付するよう求められた。男性は法事に行く途中で、裾がひざ下までの僧衣を着ていた。20年前から僧衣で運転しているが、摘発は初めて。

 男性に適用されたのは、福井県道路交通法施行細則にある「運転操作に支障を及ぼすおそれのある衣服を着用して車両を運転しないこと」との規定だ。

 警察官は、男性が着ていた僧衣の袖や裾が運転に支障があると判断したとみられるが、県警交通指導課は「僧衣がすべて違反ではなく、状況による」と説明。基準は明確ではない。

 

 福井県の僧侶が衣で運転中に捕まったという笑えない話。推測するに福井県となれば浄土真宗の僧侶か?この時期は門徒さん参りに忙しい。適用されたのは福井県道路交通法施行細則という。詳しく調べてみると

福井県道路交通法施行細則

第十六条 法第七十一条第六号の規定により車両等の運転者が守らなければならない事項は、次に掲げるものとする。
一 ブレーキおよび警音器の機能が不完全な自転車を運転しないこと。
二 積雪または凍結している道路において、自動車または原動機付自転車を運転するときは、雪道用タイヤ(滑り止めの性能を有する雪道用のタイヤで接地面の突出部が五十パーセント以上摩耗していないものに限る。)を全車輪に装着し、またはタイヤチェーン等を駆動輪(他の車両をけん引するものにあつては、被けん引車の最後部の軸輪を含む。)の全タイヤ(全車輪が駆動するものにあつては、前輪または後輪のいずれかの全タイヤ)に取り付けて滑り止めの措置を講ずること。
三 下駄、スリツパその他運転操作に支障を及ぼすおそれのある履物または衣服を着用して車両(足踏自転車を除く。)を運転しないこと。
 

 たしかに福井県道路交通法施行細則・第16条・3項に運転操作に支障を及ぼすおそれのある衣服を着用して車両を運転しないことと明記されている。この辺の判断は曖昧だが、明記されているならそれに従うより仕方がないと思うが??

私の居住地の石川県はどうだろう。

石川県道路交通法施行細則

第十二条 法第七十一条第六号の規定による車両等の運転者が遵守しなければならない事項は、次の各号に掲げるものとする。

 積雪又は凍結している道路において、自動車又は原動機付自転車を運転するときは、雪道用タイヤ(滑り止め性能を有する雪道用タイヤで接地面の突出部が五十パーセント以上摩耗していないものに限る。)を全車輪に装着し、又はタイヤチェーン等を駆動輪(すべての車輪が駆動するものにあつては、前軸輪又は後軸輪)及び被けん引車の最後部の軸輪に取り付けて滑り止めの措置を講ずること。

 げた、スリツパ、つつかけその他運転に支障のあるものをはいて、自動車又は原動機付自転車を運転しないこと。

 石川県道路交通法施行細則・第12条・2項に下駄・スリッパ・つっかけなどの履物についての規制はあるが、衣服についての規制はない。昔から鼻緒の付いた草履はOKと先輩僧侶からは聞かされたいる。

福井と石川でこれだけの違いが生ずる。石川県では僧衣の袖や裾が運転に支障があると判断し摘発されることがないということ。お隣の県とはいえ釈然としない。この辺の都道府県の発する条例道路交通法施行規則」の足並みを揃えられないものだろうか。

僧侶の多くは日常的に僧衣で運転しており、男性は「法事に行けない」と反則金の支払いを拒否。所属する宗派も反発する異例の事態になっている。

でも違反は違反。潔く反則金は払いましょう。あおり運転が問題になったのはつい最近のこと、道交法がこれだけ議論されたのに。僧侶は特権階級でも何でもない。本山もその辺のことをよく考え反発しましょう。法衣のどの部位が違反になるのか、明確な回答を求めるのが優先順位だと思うのだが。 石川県永代供養墓推奨寺院 珀琳寺 住職

現役世代1.3人で1人の65歳以上の者を支える社会の到来

平成30年版高齢社会白書によると、

65歳以上人口と15~64歳人口の比率をみてみると、昭和25(1950)年には1人の65歳以上の者に対して12.1人の現役世代(15~64歳の者)がいたのに対して、平成27(2015)年には65歳以上の者1人に対して現役世代2.3人になっている。今後、高齢化率は上昇し、現役世代の割合は低下し、平成77(2065)年には、65歳以上の者1人に対して1.3人の現役世代という比率になる。

 らしいが、直近の予測ではなく2065年つまり、45年後の予測である。よく調べてみると、平成30年の日本の人口ピラミッドは、第1次ベビーブーム世代が60歳代の後半、第2次ベビーブーム世代が40歳代前半にある。その後の形状の変化をみると、平成52(2040)年に第1次ベビーブーム世代が90歳代前半、第2次ベビーブーム世代も60歳代後半となって高年齢層入り。平成77(2065)年までの高齢化の進展は、低い出生率のもとで世代ごとに人口規模が縮小することを反映した結果となっている。これらは急に来るのではなく、今年より来年、来年より再来年。現役世代を(15~64歳の者)としたのにも些か不安の残る統計の取り方だ。15歳は中卒で就労が出来る年齢というだけで、支える現役世代はかなりの数の減少になる事であろう。

地方の現実

田舎の寺の住職になって早31年。この間の門徒さんとの距離感は確実に変わってきている。門徒さんから見える寺壇関係の煩わしさ、そこに発生する年間の寺の管理費・本山の経常費などなど、過疎化に加え集金するのは困難になっているのが現実だ。末寺が抱える問題を解決する知恵もなく、過疎化門徒調査なんて、何の效も奏さない。自分のお寺は自分で守る。そろそろ本山の経常費連続完納60年、ざっくりと計算すると、億単位の門徒さんの懇志が本山へ収まっているはずだ。これからは、距離を置きつつ田舎の寺にあったアイデアを出し続けていく。石川県永代供養墓推奨寺院 珀琳寺 住職

はるばる京都から弔問に

伯母が亡くなって早25日。忙しい中を代田の妙専寺さんの若い方が夜行バスを乗り継いて、寺まで訪ねて伯母の骨前でお勤め弔意を丁寧に伝えて下さった。私自身は2年ぶりの再会、家内は10年以上になるか・・・。自坊から近畿地方に出たのが18年前、その間亡くなった伯母は彼のことを非常に心配していた。その通り彼自身も寺に生まれた事にある意味、翻弄されたであろうが、おくびにも出さず、自坊のこれからの在り方を熱く語ってくれた。まだ住職にはなってないが、大きな可能性を秘めた逸材だろう。出来ることから肩の力を抜いて頑張ってほしい。御香資とお供え物、伯母と子供の時に遊びに行った嵐山の風景が思いだされた。 石川県永代供養墓推進寺院 珀琳寺 住職

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優しいけど、大谷大学の空手部でした。

富山の門徒さん

昨日、富山の門徒さんの報恩講参り。毎年、12月の初旬に市内をウロウロと・・。このお宅は古美術商を営んでおり、日本海側では東洋陶磁器についてはNO1の目利きであろう。

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この日は、自身が主催するオークションの下見の午前中にお参りを済ませ、昼飯を挟んでオークション会場へ私も下見。このオークションも10年目らしい。中国人バイヤーやコレクターと少数の日本人が相手。何回か熱気のあるオークションに参加したがパワーのある中国人には圧倒され逆に力を吸い取られる。門徒さん曰く「中国人は人民元を信用してなく、土地や宝石、古美術品にお金を注ぎ込む、その熱は益々加速し中国経済の閉塞感なんて全く感じない」らしい。昨日は名古屋のオークションで下見の中国人は数人。私自身も老眼と欲しい物も無く、早々に寺へ。 石川県 永代供養墓 みんなの墓推進寺院 珀琳寺 住職

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下見の風景

 

御七昼夜様勤まる12月1日。と門徒さんの本山への納骨報告。

寒い中、一座法要の御七昼夜が勤まった。本山では11月21日~28日。講中の当番の方々が寺により、お斎の用意。当番を入れて参詣は50人程。11時から御講のお勤めと説教1席・お斎を挟んで、満座のお勤めと説教2席。住職の自語りである。この日に、門徒さんの報恩講参りの日程を決めて散会。お勤めと説教に疲れを感ずるこの頃である。珀琳寺 住職 みんなの墓 石川県永代供養推奨寺院。

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お斎の様子

門徒さんの本山への納骨報告。

母親を二年前に亡くし、3回忌を済ませ本山の納骨を済ませてきたと寺にお礼へ。総勢14人?での京都への納骨、真宗本廟納骨(旧:本山須弥壇納骨)。父親と本人と奥さんはこの機会にお剃刀を受け、法名を頂いてきた。無事に済み満足の様子。

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御影堂の前で記念の写真

 

寺が仏事拒否??と「寺院消滅 - 失われる「地方」と「宗教」-」鵜飼秀徳著

先日、92歳で伯母が亡くなった。私の実母の姉で、家内にすると伯父の配偶者。このあたりは、寺の繋がりというのはというのはややこしい。亡くなった伯母の母親(福岡節寿)は代田・光済寺に生まれ、若くして家督相続人として、珠洲の鵜飼の妙厳寺の次男・正圓と婚姻するまで苦労の連続だったと伝え聞く。

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武内正圓・浅草別院輪番時代か?

その二人の二女として生まれ、母親が家督相続人だったという事で、代田・光済寺の福岡彰絢(家内の伯父)と結婚した。地方の寺が食べられるようになったのは近年のことで、肋膜を四高時代に患い、床に就くことが多かった住職を助けながらの寺院の維持管理は並大抵の精神力では不可能なことであったであろう。私が成人する前、遊びに行くと、何度か吐血し救急車で運ばれる伯父さんの姿をみている。「この寺の 子なき夫婦 落ち葉焚く」こんな俳句が書かれていたのを思い出す。物悲しく、この句を詠んだ伯父さんに直接聞いたり、触れたりする事が出来なかった。子供に恵まれず、後継者には悩まされていたと思う。扨て、その後の経緯は略す。伯母の行き場がなくなり生活の面での手助けは十数年続いたが、私の娘や娘婿たちの助力がなければと感謝している。危ない状態を知らされたのは、當寺、報恩講の満座の夜11月1日。11月13日に家内が付き添っている時に、スーと息を引き取った。その間に葬儀の事について親戚を通して相談したが、墓には納骨Okだが、仏事は拒否との事。仏事拒否??つまり、葬儀はもとより譲歩案の偲ぶ会もしないという事。伯母の遺骸を珀琳寺に運んで、通夜・葬儀を執り行った。新聞広告にはあえて載せなかったが、思いがけない参詣、法中さんも駆けつけて下さった。感謝感謝。祖師へは報謝。奇しくも今年は伯父さんの33回忌の年。珀琳寺 住職

斎場での最後の別れ

斎場での最後の別れ

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白骨になって呼びかけてくる

 

寺院消滅 失われる「地方」と「宗教」

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葬儀後「寺院消滅 - 失われる「地方」と「宗教」-鵜飼秀徳著を読み返してみた。

経営の危機に瀕するお寺と、お寺やお墓はもういらないと言う現代人──。この問題の根底には、人々のお寺に対する不信感が横たわっている。僧侶は、宗教者としての役割を本当に果たしてきたのか。檀家や現代人が求める「宗教」のあり方に応えることができているのか。
 地方崩壊の根底に横たわる寺の消滅問題について、日経ビジネスの記者が全国の寺や檀家を取材し、徹底的にルポ。芥川賞作家の玄侑宗久氏らのインタビューを交えてこの問題に迫る。
 お寺やお墓、そして地域の縁を守ろうと必死で努力する僧侶たちの姿と、今だからこそ、仏教に「救い」を求めて集まる現代人の姿が見えてくる。

 

 仏教好きの坊主嫌いが現代人の特徴らしい、いずれ淘汰され、本来の姿に戻って行くのであろうか・・悩ましい課題である。珀琳寺 住職 みんなの墓(石川県永代供養墓)推奨寺院