珀琳寺創立の一考察

珀琳寺開祖は、源頼朝に従い、一ノ谷の戦い奥州合戦などで活躍した始祖畠山。その後足利系畠山家という原型が出来た時に、開基:西教が高野山正覚院で剃髪し金丸七坊に入ったと伝わる(1500年前後)。その後に七尾城の能登畠山氏家臣団の攻防がある。その中の三宅備後の守は、現在でも珀琳寺の門徒(三宅氏・備後氏)であり、少し時代が前後するようだ。口伝では畠山義親の忘れ形見を抱いて、三宅並びに浅井の宮本が寺に預けたという。畠山家との繋がりは後世まで続き、畠山一清(能登畠山家・明治の実業家、大茶人)が七尾城跡を訪れた際、珀琳寺に立ち寄り茶会を開いたと及び聞く。その時に飾った唐三彩という文物が寺に残る。珀琳寺住職

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